2004.10.9 毛鉤について




禁漁となってから日が経ちました。
釣りの季節が終わると、天候の事をさほど気にしなくなります。
雨が降っても降らなくても、何も感じません。
ところが、釣りの季節は、天候に敏感になり、雨が降ると、川が増水しないか心配になり、逆に
雨が降らないと川の減水がきになります。
なんだか、脳みそが変わってしまうような気がします。



渓流の季節が終わると、釣りの事にあまり、頭を使わなくなる。
釣りの脳が休眠状態となり、来期の季節まで釣りは、休暇となる。
だが、ふとした瞬間に釣りの脳が覚醒する。
それは、テレビを観ているときや、本を読んでいるとき等、リラックスしている時に突然やってくる。
テレビで釣りの事をやっていたり、本に魚の事がのっていると、釣りの脳が騒ぎ出す。
そんな時は、どうしようもなくなってしまって、釣りシーズンの事が蘇る。
釣りに行こうと考える。だが、渓流は禁漁だし、管理釣り場にも行く気がしない。
そうなると、頭の中でロッドを降り、魚との格闘をする。
釣れた。釣れない。見切られた。バラした。
こうなると、来期のためにもフライを巻いておかなければならないとなるのである。
フライフィッシングの楽しみは、釣る事ばかりじゃあない。
毛鉤を巻くことにだって楽しみをみつけられるのである。
だから、シーズンオフは、フライを巻けばいいのである。
どうしても、釣りに行きたくなった時、今シーズンで良かったパターンを重点的に巻き、
反応が悪かったパターンは改良をくわえていくのである。
改良をくわえたパターンは魚の反応を確かめる事が出来ない。
だから、そういうパターンはシーズン中でも使わない事が多々あり、フライボックスの中で
眠っている事がある。

こうなると、毛鉤は、単に釣る為の道具としてではなく、釣らない為の道具とも言える。
作ったフライを一度も使わない。
それは、高価な物を棚にしまって、見ることだけに専念したり、大切な物を金庫にしまって鍵を掛けて封印する
のと似ているような気がする。
だが、僕にとって、毛鉤とは、そんな大それたものではない。
作る事に意義を感じ、魚との格闘の妄想に浸るのが毛鉤だと思う。

毛鉤を巻くということは、意識が釣りをしているというのであろうか。
毛鉤一つに物語が存在しているのかもしれない。





さて、秋になってからというもの雨が多いです。
こんな事では、釣りにい行けないじゃあないか。
いえ、いえ、
この季節は釣りには行きません。
ゆっくり、部屋で読書でも。
読書の秋ですから。
でも、スポーツの秋ともいいますよね。
スポーツフィッシングともいいます。
まあ、釣りには、いかないでのんびりするのがいいでしょう。








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